春まだ浅き3月。窓を開けていると、風にのって
卒業式の練習の音が聞こえてくることがある。
あれは中学校の卒業式のこと。
今でも忘れられないのは、学年主任だったO先生の式辞だ。
O先生は、いわゆる「不良」の首根っこをつかまえては
指導にあたるような、風紀に厳しい先生で、
専門である国語の授業より、そちらの印象の方が強いほどだった。
そのO先生が壇上に立ち、「諸君…」と切り出したところで絶句してしまった。
しばらく間があり、
しぼり出すように「卒業おめでとう」。
ひと言、それで式辞は終わった。
体育館は静まりかえり、すすり泣く声が聞こえてきた。
O先生の涙に髪を染めていた男子もうつむいていた。
そのあとの『巣立ちの歌』は涙で歌えなかった。
|
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
|
15歳の私たちは、その時はじめて
大きな愛情というものを、
何気なく通っていた教室が
あたたかな巣であったことを、肌で知ったように思う。
みんな妙にはしゃいでいたけれど
春の日差しとは裏腹に、静かなさみしさがこみあげていた。
ふと我に返る。
窓を閉めないと。
風といっしょに、春特有のせつなさも心に入り込んでしまったようだ。
時計をみると、お茶の時間。
甘いものを食べて、元気をもらうとしようか。
卒業の日の喜びも、せつなさも、
いつの日か糧に変わる。
いま、きれぎれに聞こえる歌を歌っている
少年少女たちの曇りのない前途を願いながら、
少しだけセンチメンタルな時間が流れていく。 |