梅雨も明けた秋田の町に、どこからともなく聞こえてくるお囃子。うねるような太鼓に、風のごとくからみつく笛の音、その律動にゆらめくは光の稲穂…。火照るような真夏の到来を、私たちはいつも竿燈の風景に知るのです。
◆五穀豊穣、願いを灯して
今や日本を代表する夏祭りとなった「竿燈」。大小の竿燈がいっせいに立ち上がる姿は、黄金色のたわわな稲穂そのものです。竿燈が久保田城下に始まったといわれるのは宝暦年間(1751〜63)。その起源には諸説ありますが、邪気や病気、眠気を払い身を清める「ねぶり流し」の盆行事が原型といわれています。これに五穀豊穣祈願が結びつき、米俵に見立てた提灯を竿に吊るし、夜空に披露するという今日の竿燈の形が徐々にできあがりました。ゆらりゆらりと、秋田の短い夏を燃やすかのごとく揺れる提灯には、昔人の願いも灯っているかのようです。
◆大若から小若へ
「大若」の竿燈のサイズは、高さ12m・重さ約50kg。重みや風のあおりをものともせず、竿を直立させることができるのは、研ぎすまされた精神力と長年の勘。差し手が竿を手のひらから額、肩から腰へと、巧みなバランス感覚で操ると、会場は惜しみない喝采で包まれます。将来の大若を目指す「小若」たちが初々しい演技を繰り広げる傍らで、「名人」といわれる差し手の演技は、どんな状況であってもまるで地面に足が吸い付いたように安定していて、微動だにしません。「持てるようになるまで1年、サマになって3年、極めるには一生」。技の極意は世紀を越えて受け継がれ、これからも大若から小若へと、連綿と渡されていくことでしょう。
◆美味しさも連綿と
かおる堂のお菓子もまた、秋田らしい美味しさを求める精神を受け継いできました。竿燈の妙技を欧風おせんべいに型どった「大若小若」は、薄焼きおせんべいにクリームをサンドしたやさしい味わい。軽い口当たりは、祭りの後に頬をなでゆくやわらかな風を連想させます。町紋を一覧できるしおりは、観光の方には記念として、秋田を離れた方には懐かしさを運ぶ案内状として気が利いています。今年の8月もまた、秋田市の竿燈大通りは光の波に包まれます。
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